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コーヒーのある場所づくりで地域を盛り上げ、人をつなぐ。

コーヒーのある場所づくりで地域を盛り上げ、人をつなぐ。

各地に個性溢れる専門店が次々とオープンし、道具を揃えて自宅でコーヒーを淹れる人が増えるなど、ライフスタイルにしっかりと根づき、進化し続けているコーヒー文化。「コーヒーには世界を平和にする力がある」と、大阪を拠点に、コーヒーを通じて地域を盛り上げ、人をつなぐ活動をしている注目の人がいる。「ジャパンコーヒーフェスティバル」を主宰する川久保彬雅さんだ。

川久保彬雅さん/日本コーヒーフェスティバル実行委員会 代表理事

「ジャパンコーヒーフェスティバル」は全国各地から集ったコーヒー屋がテーマに合わせて淹れるコーヒーを飲み比べできるというイベント。2016年にスタートし、西日本を中心にこれまで39回が開催された。その代表理事である川久保さんは、理学療法士からコーヒーの世界に入った異色のキャリアの持ち主だ。

「病院で理学療法士として働いている時に、趣味でコーヒー豆の焙煎を始めました。昼休みにコーヒーを淹れていたら、病棟に香りが漂って、自然と先生や患者さんが集まるようになって。そこで先生、患者という関係性が消えて、対等な人と人になると、気持ちがオープンになって会話が生まれるということに気づきました。また、30代、40代の若い脳卒中患者の方は、頭はしっかりしているのに身体が動かないため、雇い手が少なく退院後は引きこもるというケースが多い。しかしコーヒーのある場所だと、『こういう障害はあるけど、こんな仕事はできる』とか、いろいろなアイデアが生まれると思いました。だから病院の中だけでなく、外でも実施しようと思ったのが最初のきっかけです。コーヒー豆はものすごく多くの種類があって、その味の違いが面白い。それを飲み比べられる場所をつくりたいというのもありましたね」

第30回の京都の宇治市植物公園では、季節の植物とコーヒーの香りをテーマに開催された。

第1回の大阪の中崎町での開催では25店が出店し2,000人が来場、第2回の京都の下鴨神社での開催は50店に増え2万人が訪れた。しかし、出店者や来場者は増えたものの、みんなが満足できていない、自分たちがおもしろいと思ったことが実現できていないというジレンマがあった。その転機となったのが、第5回の高野山でのフェスティバルだった。

「南海電鉄さんと九度山駅から高野山駅までの各駅にコーヒー屋さんを並べる企画を行いました。それまでは、どこで飲んだらいいかわからない、コーヒーを受け取るまでに時間がかかりすぎるとか、お客さんから怒られることが多かった。しかし高野山の開催では、田舎で非日常の体験ができたり、コーヒー屋さんとゆっくり話せたりで、お客さんがとても満足して帰ってくれたし、地元の人も人がたくさん訪れたことにすごく喜んでくれて。これはずっと続けたいと思って、地域活性を活動の主軸に加えることにしました」

以降、神戸煉瓦倉庫では“読書感想コーヒー”、京都・宇治市植物公園では“植物と珈琲の香りの共演”、宝塚では“手塚治虫作品と珈琲”をテーマにするなど、地域とモノ・コト、コーヒーをつなげるストーリー性のあるフェスティバルを次々と成功させてきた。会場には心地いい空気が満ち、訪れた人たちは新しい出会いや発見に満足して帰っていく。その秘訣は、コーヒーを売ることが目的ではなく、コーヒーを通じたコミュニケーションの場所づくりが目的だからだろう。

宝塚のイベントでは、手塚治虫記念館と宝塚市立文化芸術センターにて、手塚作品をテーマにしたコーヒーの飲み比べを実施。毎回制作される読み応えたっぷりのパンフレットも好評。

活動を続けるうちに、理学療法士との両立が難しくなり、コーヒーの道に専念することを決意したという川久保さん。現在は、フェスティバルの活動と並行して、「喫茶 珈琲焙煎研究所 東三国」「ショッピングプラザコーヒー」「コーヒー&ベーカリー アルル」という3軒の店を切り盛りする。しかし、意外なことにコーヒー店の経営には積極的ではなかったという。1軒目はフェスティバルの資金づくりのために、とにかくすぐにできるところで探して居酒屋の居抜きでオープン。2軒目はそこから歩いて2分のいろいろな専門店が入る公設市場の中。レジ前のテナント募集という貼り紙を見て、昔ながらの魅力ある公設市場を残したい、盛り上げたいと、コーヒー店をつくった。そして、3軒目は近所で愛されていたパン屋で80年受け継がれてきたルヴァン種を守るために、前オーナーの遺志を継いでリニューアルオープンというカタチとなった。

「フェスティバルもそうですが、人が集まってコミュニケーションが生まれるような場所をつくりたい。そういう場所が大事だから、公設市場にしろ、パン屋さんにしろ、なくなるのはイヤだという思いだけでやっています」

手慣れた所作で種類の違うコーヒーを淹れる川久保さん。準備中の「淀川コーヒー焙煎所」にて。

現在は淀川のすぐ近くに4軒目「淀川コーヒー焙煎所」を準備中。店はすべて淀川区内だが、そこには川久保さんのある思いがあった。

「理学療法士の仕事を辞めて、実家に家族4人で仮住まいするほど経済的に厳しい状況でしたが、珈琲焙煎研究所のおかげで引っ越しもできた。この街に救われたので、コーヒーで街を盛り上げて、恩返しをしたいと思っています。4軒目のすぐ裏は淀川ですが、淀川の源流は滋賀県長浜市の余呉町。そこで僕と同年代で、森を生き返らせて琵琶湖をもっときれいにしようとがんばっている友人がいます。琵琶湖がきれいになれば、淀川もきれいになる。だから淀川の近くに店をつくって、売上の一部をその友人の活動に寄付することにしました」

さらに、川久保さんは「ジャパンコーヒーフェスティバル」の事業の一環として、若者の引きこもり支援にも携わっている。川久保さんがつくるコーヒーのある“居場所”は、そこのおもしろさ、居心地のよさが口コミで広がって、訪れる人がどんどん増えているという。目先の利益を追うのではなく、自然体で地域や人に寄り添う姿勢が多くの人を惹きつけているのだ。

「コーヒーには世界を平和にする要素が詰まっている」と川久保さんはコーヒーの魅力を語る。

2024年夏には先行まちびらきを迎えるうめきた2期。オープンすれば、国内のみならず、海外からも多くの人が訪れるだろうこの場所に、川久保さんが期待することを聞いた。「日本のコーヒーのすばらしさを発信できる場所になったらおもしろいですね。ドリップする所作には茶道の影響も入っているだろうし、一杯一杯淹れる空気感を見て、この人に淹れてもらいたいと思ったら、日本独自の“空気を読む” “相手との関係を重んじる”というすばらしい文化を海外の人に伝えられます。コーヒーを介せば世界中の人がお互いの文化をそこで交換できるし、コミュニケーションが生まれれば相手に対して寛容になれる。大阪はオープンな街だから、それがしやすいんじゃないかな。世界へ良い影響を及ぼせるような場所になってほしいです」

川久保彬雅(かわくぼ・あきまさ)
1983(昭和58)年、大阪府高槻市生まれ。理学療法士として約10年の病院勤務を経て、2016年から日本各地のコーヒー店が集うイベント、「ジャパンコーヒーフェスティバル」を主宰。若者引きこもり支援にも携わる。2019年、大阪市淀川区に「喫茶 珈琲焙煎研究所 東三国」をオープン。2023年には、同じ淀川区内に姉妹店のロースタリーカフェ「淀川コーヒー焙煎所」をオープン予定。

写真・内藤貞保  文・小長谷奈都子

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