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<前編>ナレッジキャピタルで交差した、大阪の未来を導くふたりの起業家。

野村卓也、森武司

<前編>ナレッジキャピタルで交差した、大阪の未来を導くふたりの起業家。

2013年4月に開業したグランフロント大阪の中核施設である知的創造・交流の場ナレッジキャピタル。新しい価値を生み出す知的創造・交流の場の構想や企画運営などソフト面の根幹を担ってきた総合プロデューサーである野村卓也さんと、ナレッジキャピタルの主要施設のひとつ会員制ナレッジサロンの会員であり、ビジネスを年商100億円に拡大させた気鋭のSuprieve Holdings株式会社代表取締役CEOである森武司さん。これまでのふたりの経歴と、開業8年目を迎えたナレッジキャピタルの役割と今後の展望について聞いた。

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野村卓也さん/一般社団法人ナレッジキャピタル総合プロデューサー、株式会社スーパーステーション代表取締役社長、内閣府科学技術・イノベーション推進事務局イノベーション推進担当政策参与
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森武司さん/Suprieve Holdings株式会社代表取締役CEO

大学を卒業し広告代理店に13年間勤務後、独立して1992年に株式会社スーパーステーションを設立した野村さん。
「1992年は日本初のインターネットサービスプロバイダができた年でインターネットの黎明期でした。ある講演会に行ったときに『これからはブロードバンドネットワークの時代、そしてマルチメディアの時代が到来し社会の構造が激変する』と聞き、衝撃を受けました。そこで、そうした世の中の変化に対応でき得る映像情報サービスの会社をつくろうと思ったのです」
スーパーステーションという社名は、アメリカのニュースチャンネルCNNが、1980年にジョージア州アトランタで創立する前の事業名にあやかった。
「アトランタという小さな地方都市のケーブルテレビ会社が、いまでは世界的に著名なニュースチャンネルに。私たちの会社も将来的にそうなれたらというのもありますが、“スーパーステーション=超越的な拠点”というように、多彩な人材、豊かな感性、コンテンツが集まる場をつくりたいと願ったからです。最初は現行のメディアであるテレビ番組や当時出はじめていたCS番組、パソコン通信のコンテンツや実証実験プロジェクトの企画・プロデュースといったものから事業を開始しました」

野村さんがグランフロント大阪のナレッジキャピタルに関わったのは、開業よりも5年ほど前の2008年頃だ。
「開発コンペのときからナレッジキャピタルという概念はありました。それを具体的にどういった施設で、どんなコンセプトで、どんなサービスにするのかを形にしていくのが私の仕事です。施設のメインのひとつがThe Lab.(ザ・ラボ)―みんなで世界一研究所―です。これは研究機関や大学などの専門家の活動成果を、一般の方々に向けて発信する場です。The Lab.の発想の源流は、江戸時代の享保年間に大阪にあった“堂島米会所”で行われた帳合米取引、いまでいうと先物取引にあります。いま現在はここに現物がないものを売買するという先物取引の発想は、大阪から生まれました。じつはナレッジキャピタルが誕生する前に、この発想でまだ製品化には至っていない先端技術やデザインそのものを取引する『大阪創造取引所』というイベントを近畿経済産業局の主催で2009年から2011年にわたり、計3回開催しました。これがThe Lab.の原型になっています」

4つのフロアからなるThe Lab.のひとつ、アクティブラボは企業や大学などの最先端の技術やプロジェクトを一般の方にわかりやすく展示するエリア。 1階にあるカフェラボから3階までを螺旋状に貫く「創造の渦」がシンボル。

ナレッジキャピタルのコンセプトである多様な知が集まる知的創造・交流の場をもっとも具現化しているのがナレッジサロンだ。3種類のラウンジやワークスペース、プロジェクトルーム(会議室)など充実した空間で多種多様な人材が行き交い、日々新たなイノベーションが生まれている。
「サロンと名付けたのは、パリの17世紀のサロン文化にヒントを得ました。貴族や芸術家たちが集まるようになり、フランスの文化が花開いたといわれています。異質な人たちが交流することによって新しいものが生まれイノベーションのもとになる。じつはナレッジキャピタル開業の10年以上も前になる2002年頃に、中之島サロンという名でナレッジキャピタル代表理事の宮原秀夫先生(元大阪大学総長)と主宰していたこともあります」と野村さん。

プロジェクトルーム(会議室)やワークスペース、プレゼンテーションラウンジ、バーカウンターなど多彩なシーンに対応する会員制ナレッジサロン。
ゆったりとした空間のメインラウンジは、さまざまな分野の会員同士が出会い、新たな事業創出の場として活用されている。

このナレッジサロン会員のひとりが、大阪でいまもっとも注目されているベンチャー企業のSuprieve Holdingsの代表取締役CEOの森さんだ。彼は吉本興業の元芸人という異色の経歴を持つ。
「高校を卒業してすぐに芸人になりました。4年経った頃に、あるトーナメントの決勝で野性爆弾と対決したら30対0という圧倒的な大差で負けたんですよ。僕らは一番自信のあるネタをやったんですけどね。それがショックで引退しました。それから大型家電量販店に就職してパソコンを売っていました。入社2カ月目で販売台数の営業成績1位になって、2カ月連続でぶっちぎりの売上1位、3カ月目には店長代理という驚異的なスピードで出世しました(笑)。でもそんなに難しいことではないんですよ。ふつうは1対1でセールスしますが、僕は一度に20人ぐらい集めてセールスして、4、5台を売っていたんです。店長代理になってからは、そのやり方を従業員に教えて、7カ月目にその店舗の売上が池袋や新宿を抑えて全国1位になりました。圧倒的な成果を出したら燃え尽きて(笑)。もういいやと辞めて起業したんです」

森さんは仕事にはワクワクが必要だという。2005年に起業したときの会社名も「わくわくエッサ」と名付けた。
「家電量販店で働いていたときは芸人のときとは違い、ワクワクしなかったんですね。ワクワクできる面白いことをしたい、と相方に電話して『一緒におもろいことしようや』と誘い起業しました。最初はわくわく株式会社にしようかと思っていたんですが、でもエッサホイサッと汗水流すことも大事かなと思って」
いまでこそ15業種のコングロマリット型の多事業を展開しているが、最初の事業は街コンイベント事業だったという。
「吉本の芸人をしていたので、ファンや知り合いが何百人といたんですね。当時はまだ街コンという名称はなくて、カップリングパーティーという名前で古い貸し会議室を借りて、フードはサンドイッチ、ドリンクは紙コップで飲んで勝手に交流してくださいというもの。女性が来たいと思うような魅力的なイベントではなかった。僕らはレストラン1軒を4時間借りコース料理と飲み放題付きにして、女性100人と男性100人のパーティーを開催しました。当時、一世を風靡していた日本初のあるSNSに、僕らのコミュニティは20万人ぐらいの登録ユーザー数で日本最大となっていました。ハロウィンでは2,500人程度を集客する驚異的な人気となりテレビ取材も来ていたのですが、そのSNSの衰退とともに僕らも衰退していきました」と笑う。

「街コンは土日のみの開催で、月から金曜日が暇だから」とスタートした通販事業では、大手家電量販店で培った仕入れルートを活かし、他社よりも圧倒的に安い価格帯にして大手ECモールで販売をはじめ、初年度で年商10億円を達成した。
「僕らは、ドロップシッピングで在庫を持たずに商品を登録して売っていました。規約違反ではなかったのですが、約1,000万点のありとあらゆる商品を登録していたんです。そのうちに、ヌンチャクやレーザーポインターが武器として使用される恐れがあるものなので取り扱いNGと言われることが立て続けに起こった。それならECサイトでのノウハウはわかったので、これからは自社製品を売っていこうと決めました。世の中を調べると通販ではサプリとコスメが2大ジャンル。理由は小さくて原価が安くリピートする商品だから。一度買うと数年は買わない家具と違って、シャンプーなら気に入れば毎月リピートして買ってくれる。ならば世界一素晴らしいシャンプーをつくろう!」と厳選したオーガニック成分のシャンプーを開発し、その商品が爆発的なヒットとなり、徐々に自社製品が増えていく。いまでは物販事業だけで50億円の売上を達成している。

こうして次々とビジネスを拡大させてきた森さん。もともと枚方市にオフィスを構えていたが、梅田近辺で新たに転居先を探していたときにナレッジサロンに出合った。
「ビジネスをするなら梅田でやりたい、大阪のベンチャー企業なら誰でもそう願っています。僕らもオフィスの場所を探していたときにナレッジサロンの存在を知って『梅田の一等地にこんな施設があるんだ! でも月額高いやろうなあ』と思っていたら、破格の値段でこの施設のすべてを使えると聞き驚きました」
そうしてすぐさまナレッジサロンの会員となり、ベンチャー企業や研究者、クリエイターなどさまざまな職業を持つ人たちが集う知的創造・交流の場を活かして、森さんは年商100億円へとさらなるビジネスを飛躍させることとなる。

(後編へつづく)

野村卓也(のむら・たくや)
大阪府生まれ。大学卒業後に広告代理店を経て、1992年に株式会社スーパーステーション設立。うめきたではグランフロント大阪ナレッジキャピタルの総合プロデューサーを務め、コンペ時のうめきた2期全体コンセプト立案等に従事、現在、中核機能の主要施設の基本計画立案も担う。関西大学・大阪芸術大学客員教授、一般社団法人データビリティコンソーシアム戦略顧問、フランス国際デジタルアートビエンナーレ「バン・ニュメリック」審査員と幅広く活躍。

森武司(もり・たけし)
吉本興業のお笑い芸人を経て、大型家電量販店に勤務。2005年に独立しSuprieve Holdings株式会社を設立。物販、人材、アートなど現在は15事業を経営し、年商100億の会社へと成長させる。2018年にはFinancial Timesアジア太平洋地域における急成長企業ランキングでアジア103位、日本14 位、西日本1位を獲得。一般社団法人関西バレー代表理事も務める。

写真:内藤貞保 文:脇本暁子

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