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まちづくりの逆転の発想で挑む、交差点の街としての可能性

西村勇哉

まちづくりの逆転の発想で挑む、交差点の街としての可能性

“既にある未来の可能性を実現する”をテーマに、異なるセクター、異なる地域、異なる職種など領域を超えたコミュニティを形成し、イノベーションを加速させるプラットフォームの構築に取り組むNPO法人ミラツク。代表理事の西村勇哉さんにこれまでの取り組みと梅田のまちづくりについて話を聞いた。

「私はもともと心理学の研究をしていたので、心理学をベースに仕事をしようと最初に入ったのが、東京の人材開発ベンチャー企業でした。セルフリーダーシップやコミュニケーションの研修プログラム提供に携わっていました。その後、転職したシンクタンクでは組織を変革する仕事をします。組織診断と変革を通じて職場のメンタルヘルスを良くするというものでした。組織の中の人にはアプローチできるけど、それだけだと組織を辞めてしまった人にアプローチできていません。全体が沼に沈んでいく中でいち組織を引き上げようとすることも良いけど、沼の方を埋める取り組みも必要ではないかと次第に思うようになり、そうしてはじめたのが(ミラツクの前身となる任意団体の)ダイアログBarでした」

会社の仕事とは別で2008年にダイアログBarを設立し、対話の場の活動をはじめた。「根はとてもシンプルで、家族や職場の同僚以外で話をする相手、知人、友人が生まれる場づくりの取り組みです。自分を受け入れてくれる人やコミュニケーションの相手が減ると、人はだんだん追い詰められしんどくなることは研究・データからも明らかになっています。最近であれば、コワーキングスペースがありますが、当時は新しい人に出会うためには異業種交流会のような名刺交換会しかありませんでした。営業や仕事のためではなく、自分の生活を豊かにするために人と出会う場が存在しなかった。だったら自分たちでつくろうとはじめたのがきっかけです」

ダイアログBarでは、当時はまだ海外から入ってきたばかりの「ワールド・カフェ」という手法を取り入れた。「ワールド・カフェというメソッドは組織開発という特殊な分野で使われていたものですが、まったく別分野であるまちづくりのようなオープンな場に取り入れたのは、私たちが日本ではじめてでした。参加型イベントというのは参加者全員が主体性を持つので、体験し主体性を持った人が次々と生まれる。そうしてどんどん伝播していきました」。東京の渋谷からはじまり、六本木、横浜と回を重ね、大阪、名古屋、仙台と徐々に範囲が広がっていく。忙しさで身体を壊したこともあり、2009年に会社を辞め独立し、2011年12月にミラツクとして法人化した。この年に起きた東日本大震災もミラツクにとって大きな影響を与えることになった。
「3月11日の地震発生時、六本木の高層ビルで被災しその日は帰宅できませんでした。その後1週間、オンラインの情報交流プラットフォームづくりにかかりきりになり、少し落ち着いた3月後半に福島に赴く機会をいただきました。避難所の手伝いをしながら、いま一体どういう状況なのか把握しました。象徴的だったのは、救援物資がたくさんあるにもかかわらず物資が配られていないこと。なぜかというと、大きな規模の避難所では同じ物を全員分確保できないため、配る側からすると混乱を避けたかった。もし被災者たちがもっと自主的にその場を運営できれば、この現象は解消するのではないかと思いました。管理をされるのではなく、コミュニティと共にあるリーダーのもとで自分たちが決めたことなら混乱は起きないのではないだろうかと。そうしてミラツクの取り組みに、それまでの場をつくって人と人をつなげるだけでなく、コミュニティを支える人たちを育てることが加わりました」

西村勇哉さん/NPO法人ミラツク 代表理事

ミラツクの事業は大きくわけて3つある。ひとつはもともとのダイアログBarからきているコミュニティづくり。現在は「ROOM」という名前のミラツクのメンバーシップという自前のコミュニティを運営している。もうひとつは数多くの企業とコラボレーションし、新領域事業の立ち上げに携わっている。「新規事業ではなく、まったく新しい領域で何か新しいことをはじめる際のお手伝いをしています。新領域事業というのは、たとえば今日の取材場所であるワコールスタディホール京都は、メーカーであるワコールが、ギャラリーやライブラリーなどの空間を運営しています。ワコールがこれまでしてきた身体に対してのものづくりでなく、空間をつくって運営するという新しい事業です」。最後はメディア事業だ。書籍の制作やウェブメディア「ミラツクジャーナル」、また自分たちのプラットフォームからスピンアウトさせた先端研究者メディア「esse-sense」がある。「これら3つの事業は結局のところ同じことをしているといえます。コミュニティづくりは個人のための底支えであり、企業が何か新しいことをするときの底支えも同じです。メディア事業もそうです。人が何か発想するときに土台となる知識や他の業界の考え方であったり、実践者のアプローチであったり、その発想の素を先に学んでおくためのメディアという形で底支えをしています」

“既にある未来の可能性を実現する”をビジョンに掲げているミラツクだが、具体的にどういうことか、この言葉の意味を問うと「禅問答みたいですけれど、説明するとシンプルです。たとえば今日が2022年1月21日だとして、10年後の2032年の今日に何かが起こる。これを皆さんが未来だと思っているわけですが、でも突然にポンと何かが起きるわけではなく、当たり前ですがそこにはプロセスがあるわけです。どこかでこれがはじまって、明瞭になってきたのが10年後のこの日だったということ。現在と未来は必ずつながっているので、いまこの瞬間にもすでに“考え”としてはあるけれど、まだ実現してないことはたくさんあります。それを私たちは“既にある未来の可能性”と呼んでいます」。

さまざまな領域の人々が集い、翌年のテーマを深堀りするミラツクフォーラム。70名の登壇者との33編のセッションをまとめた『ミラツクフォーラム アーカイブ2016-2019』(NPO法人ミラツク)が2021年12月に発刊された。

これまで多くの地域づくり、まちづくりのプロジェクトに関わってきた西村さんがうめきた2期のまちづくりに携わるのは理由があるという。「私は大阪府池田市出身で、大学・大学院時代も大阪大学で過ごしました。大学院の頃にボランタリーな取り組みをしていて、大学間連携をする学生たちの拠点が、どの大学からでも同じくらいの距離にあった梅田でした。それで梅田で取り組むのですが、不思議なことに梅田はなかなか現場にならない。集まることはできるけど現場は別の場所にある。ミラツクになってからも同じです。大阪駅という場所はなかなか現場にならない。なぜだろう? と考えたときに、地理的な条件に問題があるのではと仮説を立てました。たとえるなら梅田は、交差点みたいな場所。交差点の中で居ついたり踊ったりするのは難しいけれど、交差点として遠くから集まり交わる場所としてはうまくいくのではないか。それからは交差点のような取り組みを起こしたら面白くなるのではと考えはじめるようになりました」

また大阪のまちづくりでは、都市が持つ面と線という特性に違う見方が必要だという。 「東京は面の中でさらに面を持つエリアが役割分担した街です。一方で大阪は少し引いてみると、神戸や京都、奈良と関係しながらどちらかというと点と点がつながった線がクロスする街、つまり交差点。面の形をしている街を真似たまちづくりをしても、線が交差する街ではうまくあてはまらない。交差点には交差点の戦い方がある。その交差点の戦い方が見つかれば大阪のまちづくりはさらに発展するのではと考えています。2020年に加えていただいた大阪の有識者会議では、面白いことに、違う立場の有識者の方も同じようことを言っていました。それは、『大阪という街をもっと瀬戸内海や琵琶湖からの水の流れの合流地点と考えないといけない』だったり、『大阪は和歌山から淡路島ぐらいの範囲で考えるべき』というような意見です。とても共感しました」

「昔は街を歩くフィールドワークを多くしていましたが、最近はデジタルフィールドワークも増えました。SNS上でつながった人たちの中には北海道から沖縄まで科学者もいるし国会議員もいる。10代もいるし80代もいる。その人たちの発言を日々見るのも、ひとつのフィールドワークなんですね」

西村さんはそうした大阪の街の特性を活かし、うめきた2期の場を交差点としてトライアルするワークショップに取り組んでいる。
「この土地の人たちとこの土地のために、この土地の場所でというのが、地域づくりでは王道のやり方です。でもそれがうまくいかないのであれば、逆転の発想でこの地でない人たちとこの地でないもののために、この場が活きることができるのではないかと。そうした観点でいま取り組んでいるのが、大学関係者や研究者を交えたワークショップです。研究者の方々は、まちづくりをする市民サイドからするととても面白い視点でテーマに深みをもたらしてくれます。大阪を俯瞰的に見ると、京都や神戸、奈良と分散しながら同じような距離の中にたくさんの研究所があり、一度に集まってもらうには大阪駅はちょうど良い場所です。うめきた2期はそういった意味でとてもリソースに溢れた場所だといえます」
うめきた2期というまちを交差点と捉えた、新しい視点が加わったこのまちからは、これからますます多様なイノベーションが生まれていくことだろう。

西村勇哉(にしむら・ゆうや)
1981年大阪府生まれ。大阪大学大学院にて人間科学の修士を取得。2011年にミラツクを設立。セクター、職種、領域を超えたイノベーションプラットフォームの構築と、大手企業の事業創出支援、研究開発プロジェクト立ち上げの支援、未来潮流の探索などに取り組む。2021年に株式会社エッセンスを設立。WEBメディアesse-senseを立ち上げ、運営に携わる。国立研究開発法人理化学研究所未来戦略室 イノベーションデザイナー、大阪大学社会ソリューションイニシアティブ 特任准教授も務める。

ポートレート:内藤貞保 文:脇本暁子

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