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地域プロデューサーが考える、まちづくりの主体となる公共空間のあり方とは

地域プロデューサーが考える、まちづくりの主体となる公共空間のあり方とは

大阪ガスという会社は、これまでに大阪の文化や芸術と深く関わってきた。文明開化の象徴であるガス燈の普及に端を発し1897年に設立した大阪ガスは、都市ガスが台所での調理や風呂などで一般の家庭に導入された時期に、新たな生活様式とともに都市の文化を提案してきた。1933年に竣工した大阪ガスビルディングには、ガス器具陳列場をはじめ講演場、美容室、喫茶室、料理講習室、食堂などの施設が設けられ、600人を収容する吹き抜けの講演場ではエンタツ・アチャコの漫才や西洋映画の上映などの催しが開催され、文化の殿堂として名を馳せた。1985年に大阪ガスの旧社屋を活用して設立された複合文化施設「扇町ミュージアムスクエア(OMS)」は、サブカルチャーの発信基地として大阪を盛り上げた。2003年にOMSが閉館するまでマネージャーを務め、現在は大阪ガスネットワークカンパニー都市魅力研究室長である山納洋さんに、大阪ガスの文化活動や個人の活動を通して地域を活性化させた大阪のまちづくりについて話を聞いた。

山納洋さん/大阪ガス株式会社 ネットワークカンパニー事業基盤部 地域共創チーム 都市魅力研究室長・common cafeプロデューサー

「弊社には安全にガスをお届けするというミッションが根本にありますが、同時に生活をより豊かにするための新しい文化を提案するという企業風土を持ち続けてきました。OMSという複合文化施設もそうしたDNAを受け継いでいます」
劇場や映画館、カフェレストランなどを内包するOMSは、「劇団☆新感線」や「南河内万歳一座」など関西を代表する劇団をはじめ、新しい文化に敏感な若者が集い切磋琢磨する小劇場のメッカとして一時代を築いた場所である。

OMSが2003年に惜しまれながら閉館した後、山納さんは大阪市経済戦略局が設置し、公益財団法人大阪産業局が運営するクリエイティブ産業振興施設「メビック扇町(現:メビック)」の立ち上げに関わり、コラボレーションマネージャーとして3年間で約250本の講座を企画し、2006年からは大阪21世紀協会(現:関西・大阪21世紀協会)で企画・プロデュースに携わった。
「コラボレーションセンターという組織ができたタイミングで、大阪21世紀協会に異動になりました。御堂筋パレードのような大きなイベントを開催する主体から、行政や民間企業が取り組んでいたさまざまな動きをつなげて、相乗効果を発揮させる動きにシフトすることを意識していました。また当時は、大阪は海外のガイドブックに『醜い街・ヤクザの街』と書いてあり、街自体のリブランディングが必要でした。大阪には誇るべきブランド資源がたくさんあるので、それを磨き直して発信する活動をしていました」

1985年3月に大阪ガスの旧社屋を活用して誕生した扇町ミュージアムスクエア(OMS)。劇場・映画館・雑貨店・ギャラリー・レストランを備えた複合文化施設であり、2003年に閉館するまでサブカルチャーの発信地として愛された。
「サブカルチャーに触れたのは大阪ガスに入社してから。社員寮の近くにあったバーとそこで出会う人たちに触れて人生が変わった」

大阪ガスの社員でありながら、14年間出向し、演劇、インキュベーション、そして文化プロデュースという異色の経歴を持つ山納さんだが「僕自身がまちづくりに関わるきっかけとなったのは、OMS時代にはじめた『扇町Talkin’ About』でした」と言う。OMSの劇場、映画館での観劇後に感想を語り合ったり、アートや音楽、漫画などテーマを決めて話すサロンを企画。1階にあるカフェレストランを起点に周辺のカフェやバー、ギャラリーなどの場所を使い6年間で通算700回開催した。その会場のひとつだった『Bar SINGLES』が閉店したときには、そこを日替わり店主システムのバー『Common Bar SINGLES』として再生させる動きにも関わっている。
OMSが閉館した翌2004年には同じ仕組みを応用した『common cafe』をオープン。昼間はカフェ、夜はバー、そして時々演劇やライブ、展示会と約20坪の空間にOMSの複合文化施設の要素を盛り込んだプロデュースをした。
「正直に言えば、コモンカフェやコモンバーは“まちづくり”だと思っていないんです。どちらも、あくまでも店主がやりたいことを試すためのプライベートな“実験劇場”だと考えていました。 “まちづくり”に踏み出すには、公器を担う覚悟が必要です。でも、最終的にはそこまでいかないといけないと思っています。“公園”という場所は、実はその最たるものです。さまざまな思いや意図を持って集まってくる人たちがひとつの場に共存して、お互いが快適に過ごすためには、僕らや僕らの社会自体が、もう少し成長する必要があると思っています」

2004年、中崎町のビル地下に日替わり店主が運営する「common cafe」をオープン。カフェをベースに、演劇、ライブ、展覧会、トークイベントなどを開催。自己表現できる実験の場、人がゆるやかにつながる場となっている。

山納さんは、海外の公園と比較して、日本の公園が抱える課題を指摘する。「2017年の都市公園法改正で創設された公募設置管理制度(Park-PFI*)によって、民間の事業者がカフェを誘致し、定期的にマルシェを開催する公園があちこちに登場しています。一方で、日本の公園では、球技はダメ、たき火はダメ、犬の放し飼いはダメ、と禁止事項が書き連ねられた看板がよく見られます。しかし、ニューヨークのワシントンスクエアパークでは、来園する人がそれぞれ思い思いのアクティビティを楽しんでいたり、マサチューセッツ州ケンブリッジには時間を決めて犬を放し飼いにできるようルールを決めている公園があったりします。公園が自分たちの生活の場所としてしっかりと根付いているのです」。それは海外の公園は歴史的な成り立ちが関係していると説明する。「アメリカには『〇〇common(コモン)』という名前の公園があちこちの都市にあります。commonはもともと、アメリカに入植して都市に暮らした人たちが共有していた牧草地のことで、それが公園になっているのです。共有している土地を共同運営していくことでスタートしているので、行政が『都市公園をつくりました、だから使ってください』という日本のはじまりとは違うのです」

「“公共”という言葉には、公=パブリックと、共=コモンズの2つの意味合いがあります。“公”はお上が決める仕組みであり、場のあり方が規定されてしまうもの。“共”はお互いに集まり、その場のルールをつくるというものです。僕は後者に関心があり、そうした場づくりを目指してきました」

海外の人々が公園に愛着を感じ、そこが自分の居場所だと感じている背景には、その場所を自分たちが“獲得”してきたという自負があるという。「公園をより魅力のある場所に変えていくには、主体的に関わるという姿勢が必要です。たとえば、犬を放し飼いにできるようにしたい、たき火やキャンプをしたいと思うのであれば、そういうことができる日や時間帯をつくろうと皆で話し合い、管理側にルール変更を働きかけるという動きが起こってくると、公園はどんどん良い場所になっていくと思います」
そういった意味で大阪はポテンシャルがあるという。「大阪人の特性として愚痴でも不満でも本音で話しますよね。だったらこうしたらいいやん! という提案ができる。愚痴やジレンマといったものから新しいイノベーションが起こるとしたら、大阪はイノベーションが起きやすい街なのです」

「かつて日本にも山で刈った薪を置く入会地(いりあいち)と呼ばれる、田んぼや畑ではない共有地がありました。明治以降にその多くは町村の所有となり、自分たちが持つ共有地を自分たちが守るという習慣が失われました。ですが近年、コモンズを意識的に取り戻そうという動きが起こってきています」
うめきた外庭SQUAREも、そういった市民の思いを実現できる場といえる。“「みどり」のリビングラボ”をコンセプトに、1000日間限定の実証実験空間として、地域の方々や協力企業とともに未来のまちづくりに向けて実証実験を行っている。
「うめきた外庭SQUAREで行われるさまざまな実験的取り組みから、コミュニティが生まれ、具体的な活動の担い手や、広場空間の使いこなし方が見えてくるようになる。それらをふまえて、うめきた2期の中に来園する人たちが主体的に関わる仕掛け・仕組みができれば、うめきた外庭SQUAREで育ててきた活動が継承され日々賑わう空間になっていく、そう期待しています」
どうしたら心地いい場になるのかを一人ひとりが考え関わることで、新しい公園のあり方につながっていく。次世代の公園の姿は使い手によって創られていくのだ。

大阪ガスがグランフロント大阪・ナレッジキャピタル内に開設した情報発信・交流施設「都市魅力研究室」。参加者交流型サロン「うめきたTalkin‘About」やワークショップで都市の魅力について研究、発信している。

*Park-PFI:飲食店、売店等の公園利用者の利便の向上に資する公募対象公園施設の設置と、当該施設から生ずる収益を活用してその周辺の園路、広場等の一般の公園利用者が利用できる特定公園施設の整備・改修等を一体的に行う者を、公募により選定する制度であり、都市公園に民間の優良な投資を誘導し、公園管理者の財政負担を軽減しつつ、都市公園の質の向上、公園利用者の利便の向上を図る新たな整備・管理手法である。(国土交通省 都市局 公園緑地・景観課「都市公園の質の向上に向けたPark-PFI活用ガイドライン」より引用)

撮影:蛭子真 文:脇本暁子

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