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Life with Green

土地の記憶をたどり、“風土”をつなぐ

平賀達也

土地の記憶をたどり、“風土”をつなぐ

ランドスケープ・プラスのCEOで、日本ランドスケープアーキテクト連盟(JLAU)の副会長も務める平賀達也さん。人々が心地よく集える空間を生み出し、数々の受賞歴をもつ平賀さんに、日本におけるランドスケープのあり方について話を聞いた。

地元・徳島の高校を卒業後、アメリカのウェストヴァージニア大学でランドスケープアーキテクチャーを学んだ平賀さん。同校を卒業後、日本の組織設計事務所でランドスケープの仕事に従事し、独立後、「ランドスケープ・プラス」を設立した。「田舎の閉鎖的な人間関係がイヤで高校卒業と同時に海外へ飛び出しましたが、絵を描くことが好きだったことと、豊かな自然環境で育ったことが、ランドスケープデザインという仕事につながったのかもしれません」と振り返る。

新入社員だった20代の頃は、学生のときに思い描いていたようなランドスケープデザインの仕事は実現できず、もどかしさを抱えていたという。転機となったのは計画から設計監理に携わった飯田橋のアイガーデンエアで、2004年に日本造園学会賞を受賞したことだった。「ここはもともとJR貨物の操車場跡地で、地理的には皇居と小石川後楽園の中間地帯。地域の社会資本であるふたつの場所を歩行者と新たな緑のネットワークでつなげるのがコンセプトでした。デザインするにあたり地域の歴史を調べていくと、そこには平川という川が流れていて、皇居の平川門につながっている。さらにこのエリアに長年住んでいる人に話を聞いているうちに、昔あった川の護岸を復元しようと。当時はモダンなデザインに目が向いていた時代でしたが、土地の記憶を廻って正しく風景をつなぐことが、未来を見据えたまちづくりだと気づきました」

平賀達也さん/ランドスケープ・プラスCEO

平賀さんの仕事は都市の公園や広場といった公共施設から、商業、ホテル、教育施設などと幅広い。共通しているのは、人間が快適に暮らすための健全な環境はその場所の風土に根ざしているという考え方だ。「プロジェクトを始めるときは必ずその土地の歴史を調べます。短くても数千年前から、ときには十数万年前までさかのぼることもある。風土とは風と土、つまり空気と地面のことです。私たちの身体は空気と地面に接しています。風土というのはヒトが全身で感じるもので、生きていく上で必要な環境そのものです。

僕が仕事を始めた90年代初頭の日本社会はまだ経済成長が最優先されていたので、社会に成熟を促すランドスケープの考え方はなかなか受け入れられませんでした。しかし経済成長のために環境を搾取してきた結果、社会に大きなひずみが出てしまった。世界レベルでSDGsが叫ばれるいま、社会の多様性を維持するための環境づくりが必要だと多くの人が気づき始めています。ランドスケープデザインとはそういった環境の基盤をつくること。住む人が誇りに思える環境があってはじめて経済も活性化し、社会も一体になると思います」

2015年に完成した南池袋公園は、官民連携で取り組んだ都市再生プロジェクトとして高い評価を受けた。「豊島区は日本一の高密都市でありながら、2014年に23区唯一の消滅可能性都市に指定されました。一番の理由は子育て世代の人口が極端に少なかったことです。設計にあたってはさまざまな立場の区民の方から話を聞きましたが、子育て中の女性から『ママ友たちと食事をしながら安心して子どもを遊ばせられる公園がほしい』という声があった。その意見をヒントに、公共の公園にカフェレストランを併設し、売上の一部を地域貢献費として公園の運営に使える仕組みを考案しました。大きな芝生空間を都市のリビングとして位置づけ、災害時には炊き出し支援ができるよう公園資産の新たな活用手法を実現したのです」

広い芝生と青い空が見渡せる南池袋公園。周囲には高層ビルがそびえたつが、緑に包まれた空間は不思議と安心感がある。正面のカフェレストランは近隣の住民や働く人々でいつも賑わっている。
平賀さんが手がけた南池袋公園に、2020年に増設されたトイレ棟。壁面に設置された木の扉の中には、豊島区図書館が提供した絵本が置かれている。子育て世代への優しい配慮が感じられる。

池袋駅周辺は地元の地権者の力が大きく、着工前は行政と地元の意見がなかなかまとまらず、こう着状態が長らく続いていた。さまざまな立場の人たちの思いが渦巻くなか、総合プロデュースを担当することになった平賀さんが想いを馳せていたのは古代の池袋の景色だった。「東京の西側というのは富士山や箱根の噴火による火山灰が積もってできた洪積層台地。そこに海面が迫り上がって台地をえぐり、東京の原地形をつくった。池袋は台地のへりで、一番高台にあった場所。秩父盆地に降った雨が100年以上かけて湧水となって池をつくり、その水が源流となって小川沿いに集落がつくられてきました。駅の反対側で私たちが設計した池袋西口公園(通称:グローバルリング)には池袋という地名の由来と言われる大きな池があって、南池袋公園のあるエリアに川が流れていた。現在は駅で分断された街もかつては同じ流域で構成されていました。そのような背景を理解した上で、地元の地権者と目指すべき将来像を議論すると夢のある話ができるんです」

紆余曲折を経て完成した南池袋公園は7年経ったいま、子ども連れの女性や近隣で働く人々、学生やお年寄りまでじつにさまざまな人たちが集うようになった。足を踏み入れにくいと思われていたエリアに出現した南池袋公園はまさに「都会のオアシス」と呼ぶにふさわしい。「これほど人が集まるようになったのは、駅前の喧騒を抜けてこの場所に来ると、緑に囲まれたなかで広い空を見渡せるから。人間は自然に包まれたいという本能的なDNAを持っています。古来、ヒトは外敵から身を守るために自然とともに生きる時間や空間について思考を巡らせてきました。今は便利な社会になってそんな心配をしなくて済むようになった反面、人間の感性は鈍くなった。ウェルビーングという言葉は現代社会を語るうえで欠かせないキーワードのひとつですが、根底にあるのは、人間が自然とのつながりを求めているということ。私たちの身体や社会が健康な状態でいるためには、自然とともにある時間や空間に思いを馳せる感性を取り戻すことが大事だと思います」

グリーンスプリングスは、JR立川駅前の賑わいと周辺の緑豊かな自然が混じり合うように、建物と屋外をシームレスにつなぎ、人と人のコミュニケーションを促すようデザインされた。

新型コロナウィルスによる緊急事態宣言の3日後にオープンした立川のグリーンスプリングスは、ウェルビーングタウンを掲げた複合施設だ。国営昭和記念公園に隣接する広大なエリアにオフィスやホテル、ホール、店舗、美術館などを併設し、中央には緑と水に包まれた1ヘクタールの広場がパブリックスペースとして広がる。各施設との一体感が感じられるように縁側的な空間が点在するのが特徴だ。心と体が健康になれるまちづくりを目指した結果、皮肉にもアフターコロナを予言するプロジェクトとなった。「昭和記念公園とつながる屋外で新鮮な空気を吸って、多摩川や玉川上水といった地元の水辺環境を模した場所で快適な時間を過ごす。地域が誇る広い空間軸や長い時間軸の中に身を置きながら誰かと話ができる。僕たちが提案してきたコンセプトがアフターコロナの世界観と合致したのです。日本という超過密社会において経済を優先してきた結果、僕たちは息ができなくなっていました。いまこそ、本当の豊かさについて自分たちの心に耳を傾けるべきです。とくに女性は、子どもの健康を想って環境により一層敏感だと感じます。これからは女性に選んでもらえる場所をつくるというのが正しいデザインアプローチです」

現在は豊島区の住民でもある平賀さん。住みやすい環境をととのえるべく、官民の橋渡しに奔走する。「ここが新しい民主主義の出発点になればいい」と話す。

うめきた2期については、関西エリアのもつ生命圏としてのネットワークに期待していると平賀さんは言う。「うめきたは関西というエリアの扇の要にあたる場所です。その扇とは淀川流域で、ここに関西文化の根源があります。この流域には日本が未来に残すべき宝物がたくさんある。淀川の河口に手を突っ込んだら2府4県すべての水源とつながることができます。うめきたが扇の要になるためには、水という生命基盤の循環機能を人材資源や自然資源も含めてネットワーク化し、その価値を共有できるプラットフォームを構築することが大切です。2050年には世界人口が100億人に迫る中、うめきたが水を賢く使う社会を示すことで、グローバルに支持されるローカルな価値を発信できると思います」

そのためにはSDGsの思考でローカルをよくすることが、グローバルな持続性につながると話す平賀さん。新しい景観をつくるには10年かかり、風景は100年、風土は1000年かかる。うめきたには地域固有の風土に思いを馳せながら、新しい風景を自分ごととして捉える時間と空間の余白がほしいという。同時代に生きる私たちがよき祖先となるためには、身近な暮らしと地球の未来を同じ空間や時間の中で捉える知性がいま求められているのではないだろうか。

平賀 達也(ひらが・たつや)
1969年徳島県生まれ。高校卒業後に単身アメリカへ留学。93年ウェストヴァージニア大学ランドスケープアーキテクチャー学科卒業。同年日建設計に入社。2008年ランドスケープ・プラスを設立し、現在にいたる。日本ランドスケープアーキテクト連盟(JLAU)副会長を務める。

写真・藤本賢一  文・久保寺潤子  

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