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Life with Green

国や文化の違いを超えて、地球主義で考えるまちづくり

山﨑満広

国や文化の違いを超えて、地球主義で考えるまちづくり

全米で最も住みたい街といわれる環境先進都市・ポートランドで、市の開発局に勤務し “地球主義”をモットーにしたまちづくりを経験した山﨑満広さん。現在は日本を拠点に、都市の持続可能な経済開発に携わる山﨑さんに、サステナブルなまちづくりについて話を聞いた。

24年間のアメリカ生活を経て、現在は日本各地の地方再生に取り組む山﨑満広さん。

高校を卒業後、約2年間アルバイトをしながら資金を貯めて渡米し、サザンミシシッピ大学で地域経済開発学を専攻した山﨑さん。2004年よりテキサス州サンアントニオの経済開発財団で、産業活性化に向け企業誘致などの業務に携わっていた。ある日、エネルギー関連の会議に出席するため訪れたオレゴン州ポートランドで、カルチャーショックを受ける。「それほど大きな街ではないのに、ダウンタウンがものすごく都会的で洗練されていることにびっくりしました。自転車や路面電車に乗ってどこにでも行けて、緑が豊かで食べ物もおいしい。こんな街に住みたいと思いました」。当時ポートランドはいち早くサステナブルなまちづくりを実践しており、全米で最も住みたい街のひとつとして脚光を浴びていた。その後リーマンショックをきっかけに身の振り方を考えた山﨑さんは、かねてより関心のあったポートランド市開発局のポストを獲得。2012年、17年間の南部生活に別れを告げ、新天地での生活を始める。

ポートランドのファーマーズマーケット。街には、徒歩や自転車、公共交通機関を使って20分の範囲内に生活に必要なほとんどのものが揃う。
ポートランドでは一辺が約60mのコンパクトな街区にカフェやレストラン、ショップなどが続き、歩いていて飽きない。建物の間口にはガラスやメッシュといった透明な素材が使われていて、通行人は建物の中を眺めることができる。

開発局での仕事は地域経済全般のプロデュースだ。経済戦略を立てたり、街の再開発を手掛けたり、郊外のコミュニティを活性化させたりと多岐にわたる。テキサスでは工業団地やオフィス開発といった空間づくりを手掛けてきたが、ポートランドでは住民の目線に立って、中・長期的に土地の価値を上げる「都市デザイン」に深く関わるようになった。「ポートランドでまず初めに学んだのは『社会的インパクト』という考え方です。ある区画の建物を再生させるためにはどのくらいの予算が必要で、20年後にどれだけ社会にポジティブな影響を与えられるか、を考えます。廃墟同然の建物をきれいにし、周りのインフラを整えて、経済的・社会的に影響力のある会社を誘致し税収が見込めれば、資金を前借りできるシステムがポートランドにはあります。私の仕事はそのサポートです。その際、重視したのは社会的公正性や男女平等という概念です。大手企業を誘致する際も、必ず地元の人たちに還元されるように働きかけました。地元の小さい会社が成長し、女性や有色人種の人たちが生き生きと活躍できると、経済が循環して街はどんどん魅力的になります」

ポートランド市に勤務していた頃、CLT(木材の直交集成板)の担当マネージャーだった山﨑さんは、耐震性や耐火性に優れた木材の魅力を日本でも推進している。写真はCLTを贅沢に使用したポートランドの高層木造建築の分譲マンション。

そもそもポートランドは19世紀、幌馬車に乗った開拓者たちが土地を耕してつくり上げた街。第二次世界大戦中は物資を運ぶための造船業が主要産業として栄えたが、戦後は公害に悩まされ人口は減少。衰退の危機に直面し、市民は環境を最優先して街の再生に取り組んだ。70年代、全米中に張り巡らされたハイウェイが街の中心に建設される計画が持ち上がると、市民の大反対により棄却。代わりに煉瓦づくりの広場をつくり、現在では年間300以上のイベントが開催され、「ポートランドのリビングルーム」と親しみを込めて呼ばれる場所になった。90年代から市ではワークショップやイベントを開催しながら、約2万人の意見を拾い上げ、まちづくりのビジョンを更新し続けている。「戦後から市民の間に脈々と続く環境への意識は、いまもこの街に根付いています。どうやったら循環型のサステナブルなまちづくりができるかということを、市民が対話を通して考えている。アメリカは民主主義の国ですから、行政の仕事は自分たちの問題として捉えている。パブリック(We)の中には私(I)も含まれるという意識があるから、自分ごととしてディスカッションするんですね」

ナイキ本社のデザインなども手掛けたアーバンデザインスタジオ「Place」でのワークショップ。官民一体となって、住民からの意見をまちづくりに反映する。
「ポートランドのリビングルーム」の愛称で知られるPioneer Courthouse Square。80年代に市民がレンガ一つひとつに募金者の名前を刻む募金活動を行って、憩いの場所をつくった。

2012年から17年までのポートランド市勤務の間、山﨑さんは日本に向けてポートランドの都市デザインを紹介するため、複数のプロジェクトに参画。千葉県柏の葉プロジェクトでは、官・民・学連携による環境先進的な取り組みが世界中で評価され、LEED(国際的な環境認証制度)において最高ランクのプラチナ認証を受賞、MIPIM(国際不動産見本市)では大規模開発プロジェクト部門で受賞を果たした。2019年に帰国してからは日本を拠点に、全国で地方再生を中心としたまちづくりに奔走している。「帰国して最初にお手伝いしたのが富山県南砺市の仕事です。旧・井波町には人口8,000人くらいの集落に木彫り師が200人いて、日本中から神社仏閣や神輿などの装飾・修復の発注が来る。そんな町にすっかり魅了されてしまったんですが、高齢化や女性流出など問題は山積みです。そこで、町の古参だけで物事が進められている現状を変えるべく、意見を発信する場を与えられていない女性たちや若者を中心にヒアリングをして問題点をすくいあげるようにしました。100年後も町が存続していくためには何が必要かをみんなで考えています。町に暮らす人と経済のパワーバランスを見極めながら、目標に向かって走り続けています」

2021年から山﨑さんが都市再生に関わっている南砺市井波の風景。遠くには砺波平野の散居村を望む。
南砺市井波のワークショップ。経済的・社会的診断をした上で、全体の町のビジョンをつくり、行動計画を立てていく。

国や文化の違いを超えて活動を続ける山﨑さんは、「国際都市のためのまちづくり」について意見を求められることも多い。うめきた2期には真の国際化を期待するという。「国際都市をテーマにする場合、新しいものをつくる必要はないんです。外国人はその街特有の文化や歴史を垣間見られる体験をしたいんです。世界はJAPANを知りたいと思っているけれど、日本人は引っ込み思案だから発信するのが苦手。うめきた2期は、大阪特有のバイタリティによって日本を世界に発信する場所になるのではないでしょうか。伝統と革新をうまく表現しながら日本らしさをアピールして欲しいですね」

地球や環境を第一に考えることで、循環型のサステナブルな街が可能になる、と山﨑さん。

街に賑わいを生むために必要なものは? との問いに山﨑さんはこう答える。「街角ですれ違った人々が話し合う場所、井戸端会議ができるような場所など、街には人々のアイディアが交わる場所が必要です。ポートランドの都市開発では、都市にイノベーションを起こすために、パブリックとプライベートの境界を曖昧にしながら建物の間口を広げ、商店街の一階に人が出入りしやすくなるような取り組みをしています。建築用語にENGAWA(縁側空間)という言葉がありますが、外と内の曖昧な空間をどんどんつくるべきです。カフェの椅子を店先に置いたり、商店街の間口を広くして誰でも入りやすいようにしたり。そうすることで日本の地方のシャッター街が少しずつ開くようになるといい。外と内の曖昧な空間づくりが賑わいを生み出し、お金を動かす。古い建物はなるべく生かして、日本の木材もどんどん活用して、その土地らしさを生かしたまちづくりをすることが、結果的に地球を持続可能にするのではないでしょうか」

古民家の再生や里山の森林活用など、日本が持っている宝を活用すべき、と山﨑さん。街と人の未来に向けて日々奔走している。

山﨑満広(やまざき・みつひろ)
1975年東京都生まれ、茨城育ち。高校卒業後、95年渡米。サザンミシシッピ大学にて国際関係学と経済開発を専攻し、修士号取得。建設会社やコンサルティング会社、経済開発機関を経て2012年よりポートランド市開発局に勤務。2017年独立。持続可能な社会の実現を目指し、産・学・官・民をつなぎ国や文化の枠を超え、さまざまな問題解決戦略に従事。MITSU YAMAZAKI LLC代表。著書に『ポートランド-世界で一番住みたい街をつくる』、『ポートランド・メイカーズ クリエイティブコミュニティのつくり方』(ともに学芸出版社)

写真:藤本賢一 文:久保寺潤子

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